先週某SNSで見かけたある意見について考えたことを書きます。
こういうときは出所をはっきりさせるべきなのかよくわからないのですが、とりあえずぼかしておきます。
私が読んだのは他の人が引用していたほんの一部分なので、誤解もあるかもしれないということもお断りしておきます。
それはビジネス界で活躍されている意識の高い元(今も?)お笑い芸人さんの意見だったんですが、「二十代が人生を決める。そこでがんばらないと出世しない。何者にもなれない」というような内容でした。いさぎよいまでに弱者を切り捨てています。
たしかに一理あります。
こういう意見に啓発されて、出世のためにがんばるのは、決して悪いことではないと思います。
それでも、二十代から努力した全員が出世できるかというと、そうともかぎらないですよね。がんばる人が増えても椅子の数が変わらなければ、出世できない人もでてくるのでは?
そしたらもっとがんばらないといけませんね。そうやって競争は激化していくのでしょう。
ところで、「何者にもなれない」って、いつごろから使われだした表現なんでしょう。昔はあまりそういう言い方を聞かなかったような気がします。
そして「何者かになる」ではなくて、「何者にもなれなかった」という否定形の過去形で使われることが多い気がします。
「何者にもなれなかった」
自虐の中に、そんな自分を慈しむかのようなニュアンスを感じます。
ちなみに私は何者にもなれてない、普通のおばさんです。
「何者かになりたい」と、全然思ってないといえば嘘になります。なれるものなら何者かになりたいです。
そして努力や出世は悪いことではなく、それを否定はしません。適度な努力はむしろとても良いことだと思います。
だけど、社会的成功のみを追い求めるのはちょっと味気ないと思います。そんな人が主人公の映画があったら、とてもつまらないでしょう。ましてや自分の人生をそんなふうに生きるのは遠慮したいかな。
それにみんながみんな出世を目指して必死に努力しなければならないような世の中には住みたくないです。疲れます。
人生にも社会にも、ゆとりが必要ですよね。